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立証責任の転換と京都議定書の意義
 2001年夏にNewsWeek紙が、地球温暖化と京都議定書の問題について、京都議定書に批判的な記事を書いて話題を呼びました。そのころの議論はここで読むことが出来ます。
 ただこのまとめはNewsWeek紙記事の指摘した、非常に重要な点を軽く扱ってしまっています。それは、炭酸ガスと地球温暖化の関係を示すシミュレーションモデルの予測幅は極端に大きなものである、ということです。環境問題は重要でない、と言い切る人は現代にはそれほどいないと思います(密猟や違法伐採で逮捕された人のインタビューに、まれにそうした主張が見られます)が、環境問題を(経済価値にせよ、なにか健康や文化や生態系の豊かさに関係のある数字にせよ)数字化して、複数の状態をもたらすための経済的なコストと比較することには、たいてい許しがたいほどの不確実さがあります。
 立証責任を転換し、自分以外がその主張の正しさを「ちゃんと」「きちんと」証明するまでは自分は好きなようにしていいことにすれば、このようなとき自分はほとんど制約を受けません。しかし明らかに、それでは「重要であることは誰もが認める」問題に対して、誰も何もしないことになります。
 京都議定書は確かにあやふやな科学的見解に基づいた、根拠を突っつけばいくらでもアラの出てくる取り決めだと思いますが、それを実施し守らせる過程で、多くの人がそれ以外の方法では学びにくい多くのことを学ぶでしょう。案外それが一番重要なのかもしれません。自然は自然、人類は人類であって、自然は人類なしでも何とかやってゆくでしょうし、50億年ほど経つと人類や他の生物がいくら頑張っても巨大化した太陽に飲み込まれてしまうでしょう。いま人類に何が出来るかを人類は考えるべきで、できることの可能性を増やす京都議定書は、人類にとってそれこそ数値化しがたい価値を持っています。
 日本人はこのところ数十年、家庭や地域のしがらみに縛られないことを理想として、企業の中でほとんどの時間を過ごすことを当たり前だと考えてきました。その結果、日本企業は世界の脅威となり、地域と家庭は空洞化しました。地域や家庭が「ひとりで入っていくには怖い」世界になってしまったのが少子化や残虐な犯罪に拍車をかけ、対策を難しくしているように思います。しかし一方、それに先立つ時代、逃げ場のない地域・家庭の伝統で押しつぶされてきた個性はたくさんあったはずです。
 自分でものを考え、自分の周りを「組織化」する力が、今と次の世代に必要とされています。必要なことを約束し、必要でないことを拘束せず、そのバランスを絶えず調整できる力が。地域や家庭を生きる場として選び、そこで自分は何がしたいか、自分に何が出来るかが考えられる人たちがどれだけ現れるかが、これからの世界を決めるでしょう。
 私はそのために多くの人を斬ってきました。明日はまた博士課程の入試で、また何人か斬らなければなりません。教職に在るということの意味を日々思い知らされています。
| 並河 永 | 時事・議論 | 22:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
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