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基準の客観性
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
「法の下の平等」は、憲法14条に定められています。この条文は人種差別や部落差別のような人権問題に「だけ」当てはまるというイメージがありますが、例えば東京都が金融機関に外形標準課税で新たな地方税を課そうとしたとき、金融機関は「法の元の平等に反する」と反論しました。実際の東京地裁判決は、東京都の定めた条例が国の定めた地方税法に違反するから無効だ、というもので、法の下の平等に関する判断はしていないのが残念ですが。
 憲法84条で、新たな課税は「法律又は法律の定める条件による」のでなければならない、と定められているのは、憲法14条が定めた一般原則の特別な適用だと言ってもいいでしょう。
 さて、ここで困った問題が出てきます。法律に書きようがないことは、法律から抜け落ちてしまうのです。では法律に書ける課税要件とは何でしょう。例えば年収。例えば固定資産の評価額。裁判所などの他者がその正しさを後から証明できるものしか、法律には書けません。パラサイトの年収と年金生活者の年収は同列には扱うべきではないとみんな思っていても、基準を明確に書けなければ、制度として役に立ちません。
 生活保護でも、災害時の義捐金の分配でも、似たようなことが起こります。機械的な基準で測れないものがあることは、担当者なら誰でも知っていても、周囲の人を納得させる基準がありません。現場の担当者にしても、実際に知っているのは自分の現場に過ぎないのです。客観性を求めるほど、使える指標は無味乾燥なものばかりになります。
 監獄と市場はヨコシマな人の集まるところだ、という話は史記の曹相国世家(漢の宰相、曹参の伝記)にあって、司馬遼太郎さんが「項羽と劉邦」で使って有名になりましたが、ヨコシマな人は国が(担当者が)説明責任を負っている、という点をよく知っていて、それにつけ込んで得をしようとします。担当者のほうもアタックされるたびに憤死するわけにも行きません。国立大学ですらそうですが、下らない平等性のルールを、説明責任というただ一点のために固守しなければいけないことは、よくあります。
 それはそれでそうしておいて、何が出来るか考えてゆかねばなりません。大学の公式サイトで織としての言質を残すわけにはいかないとしたら、個人サイトならいいんじゃないか、とかね。
| 並河 永 | 時事・議論 | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
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