偉い人の文章にも、勘違いや誤解はあります。本に載っているから正しいとは限らない、ましてインターネットで誰かが言っているから正しいとは限らないというのは、皆さんご存知のはず。
じゃあ、何で正しさを判断するのがよいでしょう。
「裏を取る」とよく言います。公式に記録された(例えば政治家が記者会見中に言った)発言や、公刊されたデータが情報の根拠となっていて、その根拠を確かめることが出来れば、その情報には一応の裏づけがあることになります。ただ「国勢調査より」とか「厚労省調べ」とかもっともらしく書いていて、実際には引き写し間違えていたり、下のデータを誤解・曲解していたりする場合もあるので油断なりません。
別の情報源が同じことを言っている場合も、一種の裏づけになります。例えば自動車業界のAさんと別の自動車メーカーのBさんが同じことを言っていたら、自動車業界でそう思っている人は多いと考えてもいいでしょう。ただし、じつは業界の常識そのものが事実と違っているのはよくあることですし、AさんとBさんが自動車業界全体を代表するサンプルとして偏っていないかという問題もあります。一番気をつけないといけないのは、BさんがAさんの発言をそのまま信じ込んで繰り返している場合など、たくさんの発言がじつはひとつの元発言の孫引きで、元発言を裏付ける別系統の発言がどこにもない、といったケースです。
多くの新聞記事やテレビ報道は、ニュースの出所を簡単にしか伝えません。私たちはたいてい、テレビ局や新聞社を信用して、その言っていることを信じます。見ず知らずの人の話すことよりテレビを信じる人も、よく知っている人の言うことなら、テレビの言うことより信じるかもしれません。
誰が書いたかもわからない匿名のブログに、事情に詳しい人しか知りそうにないことを書き並べてあったら、皆さんなら信じますか。それがマスコミの報じない内容であったとしたら、それを秘密の暴露とみますか。それとも嘘八百とみますか。
そういうとき頼りになるのは、普段皆さんが持っている知識と経験です。人はどういうとき、どういう風にうそをつくか。自分の知っていることと、ここで述べられていることのあいだに、どんな一致点と相違点があるか。その地域や経験のレベルによって、皆さんは真実に近づく機会を逃すかも知れず、逆にまんまと扇動されてしまうかもしれません。