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ゆく年来る年
 とんでもない年でした。生きて在るのが精一杯の年でした。
 どんな世界でも、権威に公然と楯突いただけで取って代わりもせず、逃げもせずにいたら、ガツンとやられるのは普通だと思うのです。そうある「べき」かどうかはともかくね。自分はいぢめられる「べき」ではない、などと言うだけで自分たちを周囲ごと渦中に置いても、世間はたぶん支持してくれません。世間の支持がなければ、そうした抵抗などすぐ排除されてしまいます。教員の矜持に職員や学生の生活を巻き込んではなりません。
 終わりの見えない対立に組織を巻き込むことに断固反対して、せっかくたまりかけていたエネルギーが底をつき、なにか大切なものがぼきりと折れてしまったのが年の初め。だいぶエネルギーは戻ってきましたが、説明したり説得したりすることに数秒で嫌気が差し、怒気か沈黙が全身を包んでしまうのは、やはり人としての安全装置が壊れたままなのではないかと思います。
 迷走航路の中でも、陰に陽にいろいろなことを試みてきましたが、ほとんど実を結ばない一年でした。外交崩壊に歯止めはかからず、内治にもあまり成功しませんでした。
 最後の最後に何を守るのか。それは職に就いて長いこと経てば、自然に見えてくるものだと思います。例えば先日のやりとりで、R30さんの発言には「社会の木鐸であることをやめたらジャーナリストではない」といった、自然に身についた信条を感じました。私は教育者としては、嘆くだけで何もしない隣人たちに手を焼く商店街のリーダーや、笛を吹いても誰も踊ってくれないまま何か出来ることを模索する自治体担当者を、潜在的なお客として抱えています。研究者としては、「自分に分かることと分からないことの区別がつかない奴は研究者じゃない」と信じています。一市民としての感想を学問の熨斗紙にくるんで偉そうに見せようとする手合いが、私は大嫌いでもあります。だから私は、全国の商店街の皆さんを積極的に斬ろうとはしませんでした。
 しかし、今まで守ってきたものを守ってゆくのが、だんだん苦痛にも困難にもなってきました。失ったものを他に求め、生きる場を広げ確保するため、さらなる手を打たねばなりません。自分がここまで切り抜けてきた航路を思えば、あと少しくらいは何とかなるだろう。そうした強烈な自負だけが心の支えです。もはや年頭とか年末とか、そうした感慨も薄れてきました。常に、いのちの半ばです。
 あらゆる悪材料が出尽くした来年が、一陽来復、手ごたえのある年となりますように。
| 並河 永 | 考えるわたくし | 14:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
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