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なんとなく仕事をしたくない日
 私は何をしたいのだろう、と思うときがあります。

 だいたい大きな言葉を振り回し、大雑把なことを考え、「ちゃんと」「きちんと」といった「内容の明確に定義されていない断言」を吐き散らしたくなるときは、物事がうまくいっていないときか、物事のうまくいっていない面を自分や他人に対して偽ろうとするときです。

 人間というのは死ぬまで生きているもので、生きている意味というのは自分がつけたり他人がつけたりします。他人がつける意味というのは、自分の意味づけで人の人生まで覆ってしまおうという不届きな意図を持っていることが多くて、別の意味づけですぐに覆い直されたりします。

 そして、最後には、誰にとってもどうでもよくなります。遅かれ早かれ。例えば並河という苗字は本来「なびか」と読みます。京都の並河氏は8世紀に出雲の並河氏の一部が移されたものであることがはっきりしていて、その出雲の並河氏がいかに戦い、いかに生きていたのか、いっさいわかりません。だってそうでしょう。出雲には並河という地名がありません。「なびか」という言葉は古語辞典にはありません。「なびか」という言葉にはもともと何か意味があり、そしてその意味を消すような何かがあったに違いないのです。なにしろ出雲ですから、大和朝廷とのあいだで。いやー、さすがにもうどうでもいいですよ。子孫としては。今をどうするか。自分をどうするか。それに尽きます。

 自分がどうなりたいか、というのは、生きる力そのものだと思うのです。お客様方に生きる力をつけていただくのが私たちの商売である以上、私たちがそれを失うわけにも行かないのです。

 自分の井戸の奥底の、もう何にもないかもしれない暗黒を覗き込んで、何かを探す日々が、またやってきそうです。

 日本の教育がどうなろうと、埼玉大学が負けたわけではない。埼玉大学がどうなろうと、それで私が負けたわけではない。私はかなり本気で、そう思っています。それは「自信」といったポジティブなものではないし、「戦略」といった余裕のあるものでもありません。強いて言えば、「こういうものだ」という自己定義かな。

「水に落ちた犬は叩け」という言葉があるそうです。報道や情報提供に携わる企業や組織は、自分自身が批判される危険と隣り合わせに生きています。だから誰かが批判し、それにうまく対応できず、叩いても大丈夫だと保障された相手は叩くのです。人の叩き方を横目で見ながら、自分はまったく同じ叩き方をしないよう気をつけて、しかし安全を他人が保障した叩き方で叩くのです。

 それは間違いではありませんが、それはすべてではありません。リクルート事件で有罪となったNTTの真藤社長は激しく非難されましたが、NTTの役所体質を払拭して民間企業に近づけるために真藤社長が奮闘した軌跡まで消し去ってしまったのは誤りでしょう。埼玉大学も、そうした渦に巻き込まれる日が来るかもしれません。それでも、今日の次に明日が来るように、その日にも次の日がやってきます。

 すべてのものに、表と裏を見る。光と影を見る。自分の目の位置を固定しない。増してや、他人に決めさせない。それは大切なことです。

 奇しくも、明日は取引慣行論の廃止を控えた、最後の講義です。
| 並河 永 | 考えるわたくし | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
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